入植者の碑・大槻南原【旧会津藩士族】
明治政府の士族授産事業の呼び掛けに応じ、三森峠を越えて、南原に13戸、湯ノ原に1戸、駒屋北原に3戸、塩ノ原の15戸が入植した。当時は、朝敵と言われ、厳しい境遇の中で労苦を強いられたが、困難を克服し、原野を美田に導いた。南原付近には和紙の原料となる楮(こうぞ)や漆器に使われる漆の木があるのは、会津からの入植者が移植した名残とされる。
明治政府の士族授産事業の呼び掛けに応じ、三森峠を越えて、南原に13戸、湯ノ原に1戸、駒屋北原に3戸、塩ノ原の15戸が入植した。当時は、朝敵と言われ、厳しい境遇の中で労苦を強いられたが、困難を克服し、原野を美田に導いた。南原付近には和紙の原料となる楮(こうぞ)や漆器に使われる漆の木があるのは、会津からの入植者が移植した名残とされる。