「一本の水路」構成文化財
【 トランシット / レベル 】

「トランシット」は、安積疏水工事の測量で使用されたフランス製の測量機器。当時は約664円(現在の約2,600万円)という大変高価なもので、水平角と鉛直角を精密に測定した。西を示すコンパスの針が「W」ではなく、「O」となっ […]

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「一本の水路」構成文化財
【富岡の唐傘行灯花火】

 明治初期から始まった花火。郡山市三穂田町富岡地区で毎年10月に開かれている亀賀森神社、八坂神社の秋祭りで行われている。雨乞い、豊作、家内安全を祈願。 「乱玉」「火輪」「噴水」などの仕掛け花火の後、傘が開き、花火の光が雨 […]

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「一本の水路」構成文化財
【開成山の桜】

 開拓用の池の堤を強化するため、安積開拓を担った「開成社」が桜を植えたのが始まりとされる。開成社の社則に、花木の植樹を定めていたことが今へとつながっている。今でも約1300本の桜が咲く県内でも有数の桜の名所。元国指定の名 […]

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「一本の水路」構成文化財
【郡山市公会堂】

 大正 13 年(1924)市制施行を記念し建造された。国会議事堂を設計した矢橋賢吉が監修を行い、オランダ・ハーグの平和宮などを参考に設計されたと伝わる。国登録有形文化財。 ネオ・ルネサンス様式を基調とするモダンな外観に […]

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【猪苗代第二発電所】

 大正7年(1918 年)に運用開始となった水力発電所で、猪苗代第一発電所と同様、ここからの送電によって、当時の日本の中心を支えていた。赤レンガの外壁が特徴的で、建物は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が監修して […]

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「一本の水路」構成文化財
【猪苗代第一発電所】

 大正3年(1914 年)に運用開始となった水力発電所で、初の115kV 送電が行われたことにより、当時の日本の中心を支えていた。 運用開始時の出力37,500kW は、当時東洋一の規模を誇っていた。建物は東京駅や日本銀 […]

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「一本の水路」構成文化財
【旧福島県尋常中学校本館】

   明治 22 年(1889 年)に福島県尋常中学校として完成した。当時の地元・桑野村は安積開拓で急速に発展していた。地元住民らの土地の寄付や労力奉仕の申し出などもあり、建てられたと言われている。 当時の県内では最も進 […]

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【丸守発電所】

 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して造られた水力発電所。沼上、竹之内発電所と同様に造られた。 大正 10 年(1921 年)に運転を開始し、人口増加による家庭への電力供給を増やすことを目的とした。 出力は5900kwで、 […]

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【竹之内発電所】

 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して造られた水力発電所。人口増加による家庭への電力供給を増やすため、大正8年(1919 年)に運転を開始した。出力は3700kw。一般の家庭に換算すると、約1200世帯分に相当する。 春に […]

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【沼上発電所】

 明治 32 年(1899 年)に、猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して運転を開始した水力発電所。建設には「電気化学工業の父」と称された野口遵が技師長として携わった。 出力は2100kw。日本初の高圧電力の長距離送電により […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積疏水麓山の飛瀑】

 明治15 年(1882 年)に郡山の開成社等の有志が安積疏水の通水を記念して麓山公園の一角に築いた人工の滝。安積疏水事業の記念碑的建造物で、当時の安積疏水の最終地点の一つ。石造で、2つの石積みの間から水路へ水が勢いよく […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積疏水神社】

 安積疏水神社は1879年(明治12年)、安積疏水の開さく事業に先立ち、安積疏水の守護神とされ、無事完成を祈願して建てられた。当時は石造りの祠で、工事期間中の作業の安全・事業の早期竣工を祈念し、当時の工事作業員が、現地に […]

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「一本の水路」構成文化財
【 算額(田村神社) / 算額(稲荷神社) 】

日本古来の和算は、西洋数学の採用により廃止されてしまったが、郡山の和算家は、安積開拓や安積疏水の土地測量・水量計算に大活躍したといわれている。 和算の水準と研究者の分布を知ることができる学術上も貴重な文化財である。 田村 […]

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「一本の水路」構成文化財
【金透記念館】

 金透記念館は、明治9年(1876年)の明治天皇巡幸の際に休憩所となった郡山小学校(現在の金透小学校)の校舎の一部を移築、復元した建物。 開成館と同じ「擬洋風建築」で建設された。 明治天皇の東北御巡幸に随行した木戸孝允が […]

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「一本の水路」構成文化財
【十六橋水門】

 安積原野へ水を流すために、猪苗代湖の水位を調整する水門。安積疏水工事の中で、最初に工事が始まった。 当時は16の石造のアーチでできており、日本では長大な水門であった。 安積開拓・安積疏水開さく事業のシンボル的構造物で、 […]

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「一本の水路」構成文化財
【 太刀 勝光  / 槍 銘 国綱 】

 「太刀 勝光」は、開成山大神宮が、伊勢神宮からの御分霊を受けた際に、御神宝として贈られた太刀。備前国長船に住んでいた、室町時代の刀匠・勝光の作とされる。 「槍 銘 国綱」も、開成山大神宮が、伊勢神宮からの御分霊を受けた […]

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「一本の水路」構成文化財
【開成山大神宮】

  安積開拓、安積疏水に携わった多くの人々の心の拠り所として設置された神社。伊勢神宮からの御分霊を祀り、「東北のお伊勢さま」と呼ばれている。  明治8年(1875年)に本殿と拝殿が造営され、明治9年(1876年)に伊勢神 […]

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「一本の水路」構成文化財
【三嶋神社】

 松山藩士族は明治15年(1882年)から入植を始め、18戸が安積開拓に尽くした。 三嶋神社は、松山藩からの入植者のために、故郷の三嶋神社の御分霊を奉遷した神社。 移住者の大半が小作人となったため、境内も狭く社殿もなかっ […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積開拓入植者住宅・旧小山家】

 明治15年(1882)に愛媛・松山から牛庭原(現・安積町牛庭地区)に移住した「愛媛松山開墾」15戸の中の一戸で、当時の開拓者の代表的な住宅の形を伝えている。郡山市指定重要文化財。 旧松山藩士族の室崎久遠が明治政府から補 […]

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「一本の水路」構成文化財
【三柱神社】

 主に旧棚倉藩からの入植者が建立した神社。棚倉藩士族は明治14年(1881年)から入植を始め、27戸が移住した。 社殿は、明治17年(1884年)に移住者が建築した。「お互いの心を統一し、団結を強固にする」として、開墾に […]

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「一本の水路」構成文化財
【八菅神社】

 旧土佐藩の入植者のうち、山田原(逢瀬町)には20戸が移住してきた。入植者たちが菅原道真を奉斎し、地元の農家が八幡太郎を祀っていたことから、八幡と菅原の一文字ずつとって合祀し、八菅神社を祀ったとされる。 異郷に移って生活 […]

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「一本の水路」構成文化財
【豊受神社】

 旧土佐藩の入植者のうち、西原に入植した者が祀った神社。土佐藩士族は明治14年(1881年)から入植を始めた。当初は伊勢神宮の遥拝所を設けていた。明治24年(1891年)に、食物や穀物を司る神様とされる豊受神社に奉遷した […]

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「一本の水路」構成文化財
安積開拓入植者住宅・旧坪内家

 明治14年(1881年)に鳥取から広谷原(現在の喜久田町)に移住した入植者が結成した「鳥取開墾社」の副頭取の坪内元興の住宅。明治政府が入植者の住宅用補助金を交付し建築された5つのランクの住宅の中でも最上級の設計による建 […]

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「一本の水路」構成文化財
【宇倍神社】

旧鳥取藩からの入植者のために、故郷の宇倍神社の御分霊を奉遷した神社。当時氏子の資格要件が厳しく、移住士族とその分家だけが氏子となり、一般入植者や小作人たちは氏子になれなかったといわれている。 明治13年から安積開拓に向け […]

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「一本の水路」構成文化財
【金刀比羅神社】

 旧久留米藩からの入植者が祀った神社で、当時は久留米から長い船旅を経て、安積開拓の地に到着したことから、海路の守り神として、 船の神を祀っているとされている。【所在地】郡山市日和田町

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「一本の水路」構成文化財
【水天宮】

 「久留米水天宮」と同じく、旧久留米藩からの入植者のために、故郷の水天宮の御分霊を奉遷した神社。 旧久留米藩士族の開墾地は南北に分かれ、この水天宮は喜久田町にある。 当時は子どもの遊び場や、疏水の水盤屯所に使用されており […]

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「一本の水路」構成文化財
【久留米水天宮】

 旧久留米藩からの入植者のために、故郷の水天宮の御分霊を奉遷した神社。建築費寄附名簿には、三条実美、伊藤博文、大隈重信、松方正義、岩倉具視など、当時の政府高官の名が並んでいる。 明治11年11月、国営安積開墾の第一陣とし […]

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「一本の水路」構成文化財
【大久保神社】

 安積開拓、安積疏水の開さく事業で主導的な役割を果たした大久保利通を称えて1889年(明治22年)に建立された「大久保神社」。愛媛開拓者や牛庭原地域の人たちが、大久保の功績をたたえて建立に力を尽くした。鳥居や社殿はなく、 […]

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「一本の水路」構成文化財
【開成館】

 開成館は、明治7年(1874)に区会所として建築され、安積開拓時の郡役所となった。安積開拓の中心となった「福島県開拓掛」が置かれた。 地元の大工たちが錦絵や建物の見聞を通じて得た情報をもとに、西洋風に似せた建物(擬洋風 […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積開拓官舎ー旧立岩一郎邸】

 安積開拓官舎(旧立岩一郎邸)は、開成館と同じ時期に建てられた「福島県開拓掛」職員用官舎3棟のうちの一棟。 官舎には「一番」から「三番」までの番号が付されており、この建物は「一番」官舎に該当するもので、開拓掛の職員として […]

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【安積開拓発祥の地】

 開拓事務の重要な役割を担った「福島県開拓掛」の事務所が設置された施設「開成館」周辺は、近代郡山の発展の礎となった安積開拓・安積疏水開さく事業の中心地。 明治9年に明治天皇の東北行幸の際に、この地を見た政府高官や大久保利 […]

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「一本の水路」構成文化財
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【猪苗代湖】

 猪苗代湖は、猪苗代町、郡山市、会津若松市にまたがる湖。面積103.3平方km、湖岸延長が 50.4kmで、平均水深は 51.5mある。 湖に流れ込む川の水や雨、地下水が湖水となっており、大小21の川が流れ込んでいる。一 […]

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「一本の水路」構成文化財
【 五十鈴湖 】

 伊勢神宮の御分霊を受けた開成山大神宮の前にある池であったため、伊勢神宮の前を流れる「五十鈴川」にちなんで命名されたという。 江戸時代からの灌漑用の池で、当時は「上の池」と呼ばれていた。安積開拓が行われた際には、灌漑用水 […]

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「一本の水路」構成文化財
【開成山公園】

 郡山市の発展の礎となった安積開拓。明治初期、開拓者の心を一つにするために、多くの人たちが集まって楽しめ、人々の心を和ませる美しい場所を設けるために開成山公園が建設された。  公園には約1300本の桜があり、県内有数の桜 […]

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「一本の水路」構成文化財
【麓山公園】

 江戸時代の文政7年(1827年)に、当時の郡山村が宿場町に昇格したことを記念して建設された。 明治初期には町内の有志が、ほぼ現在の公園の形に造成し、共楽園と呼ばれていた。 安積開拓の歴史を伝える公園でもあり、園内にある […]

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