安積開拓を担った「開成社」を設立した中條政恒と郡山の富裕な商人たち、殖産興業と士族授産を目指した内務卿・大久保利通など、安積開拓・安積疏水には数多くの先人たちが情熱を注いだ。偉業を成し遂げた先人たちの功績、各地に建立されている記念碑などのモニュメントを紹介する。

【ファン・ドールン】

ファン・ドールンはオランダの技術者で、明治 5 年に来日。明治11年(1878年)、猪苗代湖水の唯一の出口である戸の口十六橋に水位計を設置し、既設利用の必要水量を測定。湖水の出口である日橋川を掘り下げ、水門を設置して利用水深を可能とした。


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コルネリス・ヨハンネス・ファン・ドールン

【阿部茂兵衛】

阿部茂兵衛は明治6年(1873年)4月、安積開拓を担う「開成社」の設立の中心となり、同社の初代社長として開拓事業に尽力した。
 「開成社」は、明治政府が政策として打ち出した殖産興業、士族授産に協力し、郡山の発展を目指すため、郡山の富裕商人25人が設立した。私財を投じて安積疏水の開削事業にも貢献した。


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阿部茂兵衛

【開拓者の群像】

 開拓者の群像は1992年(平成4年)にふるさと創生事業で開成山公園の広場に建立された、安積開拓を顕彰する石塔とブロンズの彫刻で構成されている。郡山市名誉市民で郡山市出身の彫刻家、三坂耿一郎氏の作品。塔の下に、中條政恒、阿部茂兵衛、大久保利通ら安積開拓を象徴する人物の群像が配されている。


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開拓者の群像

【中條政恒】

「安積開拓の父」と言われる中條政恒は明治5年(1878年)に、福島県令の安場保和に大槻原開墾の指導者として迎えられ、郡山の富裕商人25人が設立した「開成社」の協力を得て、大槻原の開拓や桑野村の誕生などの事業を成功させた。国営の安積開拓と安積疏水開削に大きな役割を果たした。


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中條政恒翁頌徳碑

【安積野開拓顕彰碑】

 安積開拓で郡山に入植し、郡山の発展に貢献した全国各地の九藩の旧藩士族の子孫らが1976年(昭和51年)に「安積野開拓顕彰会」を設立した。ゆかりの地である開成山大神宮に1981年(昭和56年)、「安積野開拓顕彰碑」を建立した。先人への感謝と、次代への功績の継承の願い込められている。
 安積開拓には、二本松・久留米・松山・土佐・岡山・鳥取・米沢・会津・棚倉の九藩の士族が入植した。顕彰碑は入植100周年を記念した。碑の台座には開拓者の故郷の玉石がはめ込まれている。


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安積野開拓顕彰碑

【小林久敬】

 小林久敬は須賀川出身で、猪苗代湖の湖水を安積野原野や岩瀬地方に流す構想を立てた。私財を投じて自ら測量し、猪苗代湖からの疏水の実現に生涯をかけた。


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小林久敬顕彰碑・句碑

【大久保利通】

 大久保は明治9年、明治天皇の東北巡幸に先んじて郡山を訪れた時、後に「安積開拓の父」と言われる中條政恒と面会した際、福島県と開成社による大槻原開拓事業の成功と、国営による安積開拓の必要性を力説した中條の話を聞いた。
 大久保の進言で、明治11年3月、国営開拓第一号事業として、国で「安積開拓」の予算が計上された。猪苗代湖の水を引くことに加え、士族の移住計画を内定した。


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大久保利通

【大久保利通】

  郡山駅西口広場にある「麓山の滝」モニュメントは平成13年に完成した。安積疏水の偉業を未来に伝えるため、麓山公園内にある「安積疏水麓山の飛瀑」をモチーフにしている。多彩なイベントのステージになったり、待ち合わせ場所になり、大勢の人たちの憩いの場になっている。


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「麓山の滝」モニュメント