【猪苗代湖】
猪苗代湖は、猪苗代町、郡山市、会津若松市にまたがる湖。安積疏水は、猪苗代湖の水の恩恵を受け、標高514mの湖から自然の落差を利用し、農業用水や生活用水に供給されている。福島県のシンボルの一つ。
【安積開拓官舎・旧立岩一郎邸】
安積開拓官舎(旧立岩一郎邸)は、開成館と同じ時期に建てられた「福島県開拓掛」職員用官舎3棟のうちの一棟。開拓掛の職員として郡山に赴任し、後に開拓出張所長となった立岩一郎が使用し、払い下げを受けた。
明治12年(1879)に行われた安積疏水」着工式に出席した伊藤博文と松方正義が、宿泊したと伝えられている。
【開成館】
開成館は、明治7年(1874)に区会所として建築され、安積開拓時の郡役所となった。安積開拓の中心となった「福島県開拓掛」が置かれた。福島県指定重要文化財、近代化産業遺産に認定。
現在は安積開拓と安積疏水の歴史を伝える資料館となっている。
【金透記念館】
金透記念館は、明治9年(1876年)の明治天皇巡幸の際に休憩所となった郡山小学校(現在の金透小学校)の校舎の一部を移築、復元した建物。 開成館と同じ「擬洋風建築」で建設された。
【麓山公園】
江戸時代の文政7年(1827年)に、当時の郡山村が宿場町に昇格したことを記念して建設された。弁天池と呼ばれる池には弁財天をまつる祠がある。赤松が水面に映し出される美しい光景と緑豊 かな園内は、たくさんの市民の憩いの場になっている。
【大久保神社】
大久保神社は、安積開拓・安積疏水の開さく事業で主導的な役割を果たした大久保利通を称えて1889年(明治22年)に建立された。
大久保は、士族授産と殖産興業、国営農業水利事業を結び付けて実現することに尽力した。安積原野を開拓することで、この地の発展に国の未来を重ねていた。
【久留米水天宮】
旧久留米藩からの入植者のために、故郷の水天宮の御分霊を奉遷した神社。
建築費寄附名簿には、三条実美、伊藤博文、大隈重信、松方正義、岩倉具視など、当時の政府高官の名が並んでいる。
明治11年11月、国営安積開墾の第一陣として入植したのが開拓精神豊かな旧久留米藩士だった。
【水天宮】
「久留米水天宮」と同じく、旧久留米藩からの入植者のために、故郷の水天宮の御分霊を奉遷した神社。
旧久留米藩士族の開墾地は南北に分かれ、この水天宮は喜久田町にある。
当時は子どもの遊び場や、疏水の水盤屯所に使用されており、開拓者の憩いの場所になっていた。
【宇倍神社】
旧鳥取藩からの入植者のために、故郷の宇倍神社の御分霊を奉遷した神社。
当時氏子の資格要件が厳しく、移住士族とその分家だけが氏子となり、一般入植者や小作人たちは氏子になれなかったといわれている。
明治13年から安積開拓に向けて移住が始まり、翌年には士族ら69戸、約300人が移住した。
宇倍神社は明治16年(1883年)に奉祀され、入植者たちの心のよりどころとなった。
【所在地】郡山市喜久田町堀之内向原
【安積開拓入植者住宅・旧坪内家】
明治14年(1881年)に鳥取から移住した入植者が結成した「鳥取開墾社」の副頭取の坪内元興の住宅。明治政府が入植者の住宅用補助金を交付して建築された5つのランクの住宅の中でも最上級の設計による建物。
【豊受神社】
旧土佐藩の入植者のうち、西原に入植した者が祀った神社。土佐藩士族は明治14年(1881年)から入植を始めた。当初は伊勢神宮の遥拝所を設けていた。明治24年(1891年)に、食物や穀物を司る神様とされる豊受神社に奉遷した。
【八菅神社】
山田原(逢瀬町)に移住してきた。旧土佐藩の入植者たちが菅原道真を奉斎し、地元の農家が八幡太郎を祀っていたことから、八幡と菅原の一文字ずつとって合祀し、八菅神社を祀ったとされる。
【安積開拓入植者住宅・旧小山家】
明治15年(1882)に愛媛・松山から牛庭原(現・安積町牛庭地区)に移住した「愛媛松山開墾」1の一戸で、当時の開拓者の代表的な住宅の姿を伝える。郡山市指定重要文化財。※地震の被害により休館中。
【十六橋水門】
安積原野へ水を流すために、猪苗代湖の水位を調整する水門。安積疏水工事の中で、最初に工事が始まった。安積開拓・安積疏水開さく事業のシンボル的構造物で、明治12年(1879年)11月に着工し、明治13年(1880年)11月に完成した。大正期には大規模な改修が行われた。近代化産業遺産にも指定されている。
【算額(田村神社) / 算額(稲荷神社)】
日本古来の和算は、西洋数学の採用により廃止されてしまったが、郡山の和算家は、安積開拓や安積疏水の土地測量・水量計算に大活躍したといわれている。田村神社・稲荷神社に算額が奉納され、郡山市の有形民俗文化財に指定されている。
【安積疏水神社】
安積疏水の守護神とされ、無事完成を祈願して建てられた。当時は石造りの祠で、工事期間中の作業の安全・事業の早期竣工を祈念し、当時の工事作業員が、現地に向かう際に必ず立ち寄り、その日の安全を祈ったとされている。
【安積疏水麓山の飛瀑】
明治15 年(1882 年)に郡山の開成社等の有志が安積疏水の通水を記念して麓山公園の一角に築いた人工の滝。安積疏水事業の記念碑的建造物で、当時の安積疏水の最終地点の一つ。
【沼上発電所】
明治 32 年(1899 年)に、猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して運転を開始した水力発電所。建設には「電気化学工業の父」と称された野口遵が技師長として携わった。現在も稼働している水力発電所(再開発を除く)としては福島県で最も古い発電所となっている。
【丸守発電所】
猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して造られた水力発電所。人口増加による家庭への電力供給を増やすため、大正 10 年(1921 年)に運転を開始し、出力は一般の家庭に換算すると、約2000世帯分に相当する。
【旧福島県尋常中学校本館】
明治 22 年(1889 年)に福島県尋常中学校として完成し、当時の県内では最も進んだ洋風建築。創建された場所に当時の面影を残したまま現存している貴重な学校建築物であり、昭和52年(1977)、国重要文化財に指定された。 安積歴史博物館として一般に公開されている。
【猪苗代第一発電所】
大正3年(1914 年)に運用開始となった水力発電所で、初の115kV 送電が行われたことにより、当時の日本の中心を支えていた。建物は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が設計している。
【猪苗代第二発電所】
大正3年(1914 年)に運用開始となった水力発電所で、初の115kV 送電が行われたことにより、当時の日本の中心を支えていた。建物は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が設計している。
【郡山市公会堂】
大正 13 年(1924)市制施行を記念し建造された。国会議事堂を設計した矢橋賢吉が監修し、オランダ・ハーグの平和宮などを参考に設計されたと伝わる。ネオ・ルネサンス様式を基調とするモダンな外観には、開拓の意気込みが壮麗に表現され、郡山の飛躍的発展の象徴でもある。国登録有形文化財。
【開成山の桜】
開拓用の池の堤を強化するため、安積開拓を担った「開成社」が桜を植えたのが始まりとされる。今でも約1300本の桜が咲く県内有数の桜の名所。開成山公園には日本最古級のソメイヨシノがあり、毎年春には、たくさんの花が咲く。
【開成山公園】
開成山公園は、安積開拓に携わる開拓者たちの心を一つにするため、みんなが集まって楽しめる場所をつくろうとして始まったと言われる。開拓用につくられた灌漑用のため池の跡でもあり、安積開拓を担った「開成社」が花木の植樹を進め、県内有数の桜の名所にもなった。公園内にはモニュメント「開拓者の群像」、バラ園、野外音楽堂、野球場、陸上競技場などもあり、郡山のシンボル的場所となっている。
【富岡の唐傘行灯花火】
明治初期から始まった花火。郡山市三穂田町富岡地区で毎年10月に開かれている亀賀森神社、八坂神社の秋祭りで行われている。市無形民俗文化財に指定され、地元住民らでつくる富岡唐傘行灯花火保存会が伝統を継承している。