【阿部茂兵衛】
阿部茂兵衛は明治6年(1873年)4月、安積開拓を担う「開成社」の設立の中心となり、同社の初代社長として開拓事業に尽力した。
「開成社」は、明治政府が政策として打ち出した殖産興業、士族授産に協力し、郡山の発展を目指すため、郡山の富裕商人25人が設立した。開拓地までの道(現在のさくら通り)をつくり、灌漑用池(現在の五十鈴湖)を造成し、開拓者の心のよりどころとして、開成山大神宮を勧請した。開拓事務所として『開成館」を建設した。
阿部茂兵衛は私財を投じて安積疏水の開削事業にも貢献し、学校の整備、鉄道の敷設にも奔走した。
銅像の近くには、開成社創立者一覧が記載された石碑がある。
銅像は、昭和18年(1943年)に建立されたが、戦時中に供出。昭和28年(1953年)に再建された。