【中條政恒】
「安積開拓の父」と言われる中條政恒は明治5年(1878年)に、福島県令の安場保和に大槻原開墾の指導者として迎えられ、郡山の富裕商人25人が設立した「開成社」の協力を得て、明治9年に桑野村を誕生させた。
大槻原の開拓や桑野村の誕生などの事業を成功させた中條は明治9年、明治天皇の東北巡幸に伴って福島を訪れた大久保利通に、安積開拓と安積疏水開削を国の事業として進めることを要請。国営の安積開拓と安積疏水開削に大きな役割を果たした。
中條は米沢藩士の長男として生まれ、藩校興譲館で学び、江戸で学問を深めた。
中條政恒の頌徳碑は、開成山大神宮の敷地内に、阿部茂兵衛の銅像、安積野開拓顕彰碑と並んで建立されている。