入植者の碑・対面原【旧棚倉藩士族】

 明治13年に「棚倉開拓社」が28戸の移住許可を受け、」実際には26戸が入植した。土地が狭かったために、分散入植し、対面原5戸、堀の内10戸、堀切前4戸、森子段には東棚倉と称して7戸が入植した。
 明治17年には、棚倉藩、会津藩、二本松藩の士族が協議し、「三柱神社」を奉祀し、心のよりどころにした。