資料・リンク集
安積疏水地区「水の恵みカード」

  「水の恵みカード」は、地域の農産物と農業水利施設(水の恵み施設)をわかりやすく紹介するために配布している。 安積疏水地区のカードは、安積疏水土地改良区などで配布している。 ◇安積疏水地区のお米◇  郡山市三穂田町の「 […]

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大谷一号水路橋

 郡山市三穂田町大谷地区で、安積疏水を東西に流している「大谷一号水路橋」は、昭和35年(1960年)に建造された高架式水路。 国営新安積開拓建設事業(昭和16年度~昭和41年度)で造成された。水路を横切る道路をサイホンの […]

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未来を拓いた「一本の水路」常設展示

 郡山市熱海町の磐梯熱海観光物産館は、未来を拓いた「一本の水路」常設展示をしている。 日本遺産の「未来を拓いた『一本の水路』」を紹介するパネルを展示している。 未来を拓いた「一本の水路」に関連した文化財、周辺地域の観光名 […]

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人物・モニュメント
「麓山の滝」モニュメント(郡山駅西口広場)

 郡山駅西口広場にある「麓山の滝」モニュメントは平成13年に完成した。安積疏水の偉業を未来に伝えるため、麓山公園内にある「安積疏水麓山の飛瀑」をモチーフにしている。 明治15年に安積疏水の通水を記念して造られた「安積疏水 […]

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日本遺産「一本の水路」エリアマップ

   日本遺産「未来を拓いた『一本の水路』」のストーリーには、猪苗代湖周辺から郡山市まで、構成文化財など安積疏水にまつわる文化財が数多くある。 神社仏閣や遺跡、産業遺産、記念碑や顕彰碑など、安積疏水に関連する文化財の周辺 […]

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「一本の水路」を訪ねるコース

 日本遺産は、地域の歴史的な魅力や特色を通じて、地域の文化・伝統を語るストーリーとして文化庁が指定している。 『未来を拓いた「一本の水路」』は、安積開拓・安積疏水開さく事業をメーンテーマに、猪苗代湖と安積疏水、安積開拓を […]

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人物・モニュメント
【大久保利通】

 明治維新後、旧武士たちは士族と呼ばれていたが、生活は苦しく、明治の新時代に不満を持ち、反乱が相次ぐなど、士族の救済は急務となっていた。 当時の政府要人だった大久保利通は、世界との差を実感し、国の未来には殖産興業と士族授 […]

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人物・モニュメント
【 小林久敬 】

 小林久敬(1821年~1892年)は須賀川に生まれ、天保の凶作の惨状を見聞きして、猪苗代湖の湖水を安積野原野や岩瀬地方に流す構想を立てた先覚者だった。幕末から疏水開さくを提唱し、私財を投じて自ら測量し、東京に移り住んで […]

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「一本の水路」構成文化財マップ

 日本遺産「未来を拓いた『一本の水路』」の構成文化財の所在地は、郡山市、猪苗代町、会津若松市にある。当初は37件だったが、Ⅰ件追加され、現在は38件となっている。

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明治15年安積疏水全図

 明治15年に完成した、安積疏水の全長は約130㎞。地形や高低差を活かし、北から南に水を流している。途中で7つの分水箇所を設けることで広く水が行き渡るようにされた。

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人物・モニュメント
【安積野開拓顕彰碑】

 安積開拓で郡山に入植し、郡山の発展に貢献した全国各地の九藩の旧藩士族の子孫らが1976年(昭和51年)に「安積野開拓顕彰会」を設立した。ゆかりの地である開成山大神宮に1981年(昭和56年)、「安積野開拓顕彰碑」を建立 […]

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人物・モニュメント
【中條政恒】

 「安積開拓の父」と言われる中條政恒は明治5年(1878年)に、福島県令の安場保和に大槻原開墾の指導者として迎えられ、郡山の富裕商人25人が設立した「開成社」の協力を得て、明治9年に桑野村を誕生させた。 大槻原の開拓や桑 […]

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人物・モニュメント
【 開拓者の群像 】

 開拓者の群像は1992年(平成4年)にふるさと創生事業で開成山公園の広場に建立された、安積開拓を顕彰する石塔とブロンズの彫刻で構成されている。郡山市名誉市民で郡山市出身の彫刻家、三坂 耿一郎氏の作品。塔の下に、中條政恒 […]

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人物・モニュメント
【阿部茂兵衛】

 阿部茂兵衛は明治6年(1873年)4月、安積開拓を担う「開成社」の設立の中心となり、同社の初代社長として開拓事業に尽力した。 「開成社」は、明治政府が政策として打ち出した殖産興業、士族授産に協力し、郡山の発展を目指すた […]

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人物・モニュメント
【ファン・ドールン】

 明治政府は、近代化のための科学・技術習得のため多くの外国人を日本までの旅費支給、無料の官舎、高額の給料で招いた。 運河・干拓・利水・治水については、先進技術国であったオランダから技師を招き「コルネリス・ヨハンネス・ファ […]

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入植者の碑
入植者の碑・対面原(北久留米)【旧久留米藩士族】 

 明治13年に現在の喜久田町、日和田町にまたがる対面原に移住し、寒冷不毛の地だった原野の開墾事業に取り組んだ。水天宮、金刀比羅神社を祀り、心のよりどころにした。101戸が入植し、開拓地は移370町歩に及んだ。

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入植者の碑
入植者の碑・四十坦原【旧米沢藩士族】

 旧米沢藩士族13戸が明治16年に入植した。安積開拓の父と呼ばれる中條政恒、郡山農学校初代校長の立岩一郎、いち早く有機農法を取り入れた牧畜に励んだ石井貞廉は米沢藩士族。明治14年には米沢藩士族を中心に、「東北開墾社」が設 […]

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入植者の碑
入植者の碑・牛庭原【旧松山藩士族】

 松山藩士族の愛媛開墾社は明治15年に15戸が入植し、後の入植者を加えて総数で18戸になった。愛媛出身で東京駒場農学校に勤めていた田中利助、開成山農学校の教師、飯田定一の指導で安積の地で初めての種甘藷(サツマイモ)の栽培 […]

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入植者の碑
入植者の碑・対面原【旧棚倉藩士族】

 明治13年に「棚倉開拓社」が28戸の移住許可を受け、」実際には26戸が入植した。土地が狭かったために、分散入植し、対面原5戸、堀の内10戸、堀切前4戸、森子段には東棚倉と称して7戸が入植した。 明治17年には、棚倉藩、 […]

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入植者の碑
入植者の碑・対面原【旧岡山藩士族】

 明治13年に旧岡山藩士の小松健太郎ら士族10戸が開墾を許された。明治30年には1戸も残っておらず、移住者全員が離脱している。酪農を中心とした開拓のあとは、今でも「備前開墾」として、その名を残している。 入植者の碑・旧岡 […]

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入植者の碑
入植者の碑・廣谷原【旧鳥取藩士族】

 明治政府の士族授産事業の呼び掛けに応じ、明治13年に69戸の士族、約300人が入植した。1戸平均で3町6反、計63町歩を開拓し、原野を美田に導いた。宇倍神社は郷里から御分霊を奉祀して心の拠り所にした。

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入植者の碑
入植者の碑・大槻南原【旧会津藩士族】

 明治政府の士族授産事業の呼び掛けに応じ、三森峠を越えて、南原に13戸、湯ノ原に1戸、駒屋北原に3戸、塩ノ原の15戸が入植した。当時は、朝敵と言われ、厳しい境遇の中で労苦を強いられたが、困難を克服し、原野を美田に導いた。 […]

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入植者の碑
入植者の碑・廣谷原【旧土佐藩士族】 

 明治13年に旧土佐藩士族が71戸が入植した。多田野山田原に20戸、赤坂に15戸が政府勧奨で入植した。明治26年には郷里の御分霊を奉祀して廣谷原に「豊受神社」、山田原に「八菅神社」を設けた。入植者の心の拠り所となった。

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入植者の碑
入植者の碑・大蔵壇原【旧久留米藩士族】

 明治11年に旧久留米藩士の森尾茂助ら士族が18日間をかけて郡山に到着。久留米開墾社を設立し、大蔵壇原を開墾地に、40戸が移住し、80町歩を開墾。郷里の水天宮の御分霊を奉祀して心の拠り所とした。現在も「久留米水天宮」とし […]

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入植者の碑
入植者の碑・大槻原【旧二本松藩士族】

明治6年3月、福島県令の安場保和が二本松に出張し、安積開拓への移住を勧奨した。大槻原に28戸、対面原に11戸が移住した。割り当てられた土地が久留米藩士族などの半分に過ぎなかったという。

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「一本の水路」構成文化財
【 トランシット / レベル 】

「トランシット」は、安積疏水工事の測量で使用されたフランス製の測量機器。当時は約664円(現在の約2,600万円)という大変高価なもので、水平角と鉛直角を精密に測定した。西を示すコンパスの針が「W」ではなく、「O」となっ […]

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「一本の水路」構成文化財
【富岡の唐傘行灯花火】

 明治初期から始まった花火。郡山市三穂田町富岡地区で毎年10月に開かれている亀賀森神社、八坂神社の秋祭りで行われている。雨乞い、豊作、家内安全を祈願。 「乱玉」「火輪」「噴水」などの仕掛け花火の後、傘が開き、花火の光が雨 […]

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「一本の水路」構成文化財
【開成山の桜】

 開拓用の池の堤を強化するため、安積開拓を担った「開成社」が桜を植えたのが始まりとされる。開成社の社則に、花木の植樹を定めていたことが今へとつながっている。今でも約1300本の桜が咲く県内でも有数の桜の名所。元国指定の名 […]

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「一本の水路」構成文化財
【郡山市公会堂】

 大正 13 年(1924)市制施行を記念し建造された。国会議事堂を設計した矢橋賢吉が監修を行い、オランダ・ハーグの平和宮などを参考に設計されたと伝わる。国登録有形文化財。 ネオ・ルネサンス様式を基調とするモダンな外観に […]

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「一本の水路」構成文化財
【猪苗代第二発電所】

 大正7年(1918 年)に運用開始となった水力発電所で、猪苗代第一発電所と同様、ここからの送電によって、当時の日本の中心を支えていた。赤レンガの外壁が特徴的で、建物は東京駅や日本銀行本店などを手掛けた辰野金吾が監修して […]

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「一本の水路」構成文化財
【猪苗代第一発電所】

 大正3年(1914 年)に運用開始となった水力発電所で、初の115kV 送電が行われたことにより、当時の日本の中心を支えていた。 運用開始時の出力37,500kW は、当時東洋一の規模を誇っていた。建物は東京駅や日本銀 […]

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「一本の水路」構成文化財
【旧福島県尋常中学校本館】

   明治 22 年(1889 年)に福島県尋常中学校として完成した。当時の地元・桑野村は安積開拓で急速に発展していた。地元住民らの土地の寄付や労力奉仕の申し出などもあり、建てられたと言われている。 当時の県内では最も進 […]

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「一本の水路」構成文化財
【丸守発電所】

 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して造られた水力発電所。沼上、竹之内発電所と同様に造られた。 大正 10 年(1921 年)に運転を開始し、人口増加による家庭への電力供給を増やすことを目的とした。 出力は5900kwで、 […]

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「一本の水路」構成文化財
【竹之内発電所】

 猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して造られた水力発電所。人口増加による家庭への電力供給を増やすため、大正8年(1919 年)に運転を開始した。出力は3700kw。一般の家庭に換算すると、約1200世帯分に相当する。 春に […]

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「一本の水路」構成文化財
【沼上発電所】

 明治 32 年(1899 年)に、猪苗代湖と安積疏水の落差を利用して運転を開始した水力発電所。建設には「電気化学工業の父」と称された野口遵が技師長として携わった。 出力は2100kw。日本初の高圧電力の長距離送電により […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積疏水麓山の飛瀑】

 明治15 年(1882 年)に郡山の開成社等の有志が安積疏水の通水を記念して麓山公園の一角に築いた人工の滝。安積疏水事業の記念碑的建造物で、当時の安積疏水の最終地点の一つ。石造で、2つの石積みの間から水路へ水が勢いよく […]

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「一本の水路」構成文化財
【安積疏水神社】

 安積疏水神社は1879年(明治12年)、安積疏水の開さく事業に先立ち、安積疏水の守護神とされ、無事完成を祈願して建てられた。当時は石造りの祠で、工事期間中の作業の安全・事業の早期竣工を祈念し、当時の工事作業員が、現地に […]

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「一本の水路」構成文化財
【 算額(田村神社) / 算額(稲荷神社) 】

日本古来の和算は、西洋数学の採用により廃止されてしまったが、郡山の和算家は、安積開拓や安積疏水の土地測量・水量計算に大活躍したといわれている。 和算の水準と研究者の分布を知ることができる学術上も貴重な文化財である。 田村 […]

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「一本の水路」構成文化財
【金透記念館】

 金透記念館は、明治9年(1876年)の明治天皇巡幸の際に休憩所となった郡山小学校(現在の金透小学校)の校舎の一部を移築、復元した建物。 開成館と同じ「擬洋風建築」で建設された。 明治天皇の東北御巡幸に随行した木戸孝允が […]

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「一本の水路」構成文化財
【十六橋水門】

 安積原野へ水を流すために、猪苗代湖の水位を調整する水門。安積疏水工事の中で、最初に工事が始まった。 当時は16の石造のアーチでできており、日本では長大な水門であった。 安積開拓・安積疏水開さく事業のシンボル的構造物で、 […]

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